令和
その凛とした響きに、日本的強さ、清さ、優しさを感じる。
これまでの慣習とは異なり、日本最古の歌集「万葉集」から採用したこの言葉には、
新時代の日本がかつて遣唐使を廃止した時のように、本気で精神的にも自立し、
自ら一歩を踏み出そうとする意志さえ感じられる。
いよいよ、その時が来たのだろう。
ひとりひとりの花を咲かせる。
「個人主義」とは違う、各々の「個性」を最大限に生かすことで公に貢献し、結果的にそれが己の幸せとなる、
という考え方。これが日本の「和」なのである。
「和」の精神は「神集い」や「神図り」という言葉に表現されるように、神代まで遡ることができる。
高天原では、いざなぎといざなみを地上の世界に送る際、あまてらすが天岩戸を閉めて立てこもった際、
そして、天孫降臨の際など、事あるごとに神々が集まり、話し合った。そしてその都度、最良の選択をしてきた。
そう、日本は少なくとも数千年も前からとっくに「和」の民主国家なのだ。
天皇は命がけで国家の安寧と国民の幸せをひたすら祈る存在であり、無私を貫く。
だからだろうか、日本人は「個」を慈しみながら、「個」を無にすることもできる。
希有な性質を持つ民族なのだ。そしてここが、他の国の人から見ると、
なるほど理解しにくいということになるのかも知れない。
だけど、そんな日本人だからこそ、原点に戻り、この新時代にやるべきことはたくさんある。
これは「日本神話往来」の最終巻に「あとがき」として記した内容の一部でもあるが、
実は、日本人として生まれてきたからには、その使命が決まっているらしい。
それは、「高天原を地上の世界に再現すること」。
日本書紀の中には「三大神勅(しんちょく)」というものがあり、ここには天孫降臨の際、
あまてらすが孫のほのににぎに三種の神器とともに与えた言葉が記されている。
この神勅こそが日本の歴史の原点であり日本民族の理想なのだそうだ。
昨今、忙しい日々に追われ「自分は何のためにこの世に生まれてきたのか」と自問する人は少なくないだろう。
そんなときはどうかこのあまてらすの言葉を思い出してほしい。
わたくしたちには明確な使命があるのだということを。
新しい御代は、今までの日本を総括し、ことによっては清算する必要もあるだろう。
戦後の長い眠りから覚め、神武天皇が建国の理念として唱えた「自律自存の道義国家」として再建する時がきたのだ。
日本は世界を照らす太陽なんだと心底思う。