宇宙と地球と人類と

 

 

「日本のことを知りたい。最初から」そう思い立って日本神話を読み始めたのがもう今から10年以上も前。

神話をあくまで「神話」として理解していた自分に、「そうじゃないんだ」と思わせるような不思議な出会いが次々と起こる。

 

阿波・讃岐忌部から全国に広がった麻文化の話をしてくださった古代史研究家の林先生、日本神話は事実だと神社や地名の関係を地図を指し示しながら現地を案内してくださった「阿波古事記研究会」の三村副会長。極め付けは自身を天皇家の血筋だという方から頂いた情報により、私の「古事記観」はとうとう日本という枠を超え、世界を超え、地球を飛び出しはるか宇宙にまで広がってしまった。

 

「人類はどこからきたのか」

「天皇はなぜ存在するのか」

「なぜ、世界は(争いが絶えず)今このようになってしまっているのか」

 

その答えはすべて地球の始まる前、宇宙にあると聞けば、多くの方は、「またまた~」と思うだろう。

 

だが、少し考えてみて欲しい。

 

先述した3つの問題に即答できる方はいるだろうか。

では逆に、なぜこのようなシンプルな質問の答えを私たちは知らないのだろうか。

 

いや、正確には、「知らされていない」のだろうか。

 

では、こういう見方はどうだろう。

 

『人類には知らされていない抹消された歴史がある。それは人類全てが共有していたものであり、人類はかつて宇宙と地球の関係や自分たちがどのように誕生したのか、またその意味を知っていたという。そしてそこに日本の天皇が深く関係している』

 

実は、そのようなことが書き記された書物が現存していることをご存知だろうか。

それは古事記よりも古く、しかも我が祖国、日本にある。

 

その書物の名は「竹内文書(たけのうちもんじょ)」

 

初めて耳にする方のために以下の文を、高坂和導著「竹内文書でわかった太古の地球共通文化は【縄文JAPAN】だった」より抜粋する。

「明治431910)年に一般公開されて以来、そのスケールの大きさと現代史学とのギャップゆえ「異端」の道を歩かされ」、「昭和121937)年、皇室のルーツに触れる内容が不敬罪にあたるとして世の批判を浴びてしま」い、「当代の碩学(せきがく)と謳(うた)われた狩野亨吉(かりのこうきち)氏が『竹内文書』を批判したことが注目を集め、裁判で無実が確定したにもかかわらず偽書のイメージが定着してしまった」とある。

 

もし、そこに書かれていることが事実で、私たち人類が生きていく上で一番大切なことを知らされていないのだとしたらこれほど不幸なことはない。私たちはなにゆえこの地上に生まれ落ち、死んでいくのか。そして特に日本人には大切なミッションが託されているようなので、このことを一人でも多くの方に知ってもらいたい

 

そんな想いに駆られつつ次の作品を書いている次第である。

 

ただ、知りたがりの私は、この竹内文書だけではなく、その他のいわゆる「神勅」と言われる書物、例えば「日月神示」や「九鬼文書」、「火水伝文」などその類のものをいろいろ読み漁ってみた。聖書を始め、ユダヤ、キリスト、天皇、卑弥呼、空海ハトホルに関する本まで多岐に渡り読んでみた。また、何か科学的な根拠はないのかと、地球の歴史を知る上で必要な地質学者の書籍まで入手した(これはまだ読書中)。

 

この3年間ほどの情報の蓄積の結果、それぞれの書籍に書かれている共通点や伏線を見出し、それをさらに自分の中で消化し、ようやくアウトプットできる時点まできた。

 

先に言ってしまうと、どうやら次のシリーズは「神勅(しんちょく)」となりそうだ。

そしてその新シリーズの「予告」ともいうべき要素が来年の「皇紀カレンダー」(10月23日発売予定)に少しだけ組み込まれている。

 

だから、表紙は龍なのだ。

そしてなぜ龍なのかは、次作品を読んでもらえれば分かるようになっている。

 

冒頭で述べた通り、私の中では、あくまで古事記の世界の延長線上にこの「神勅シリーズ」があり、決して逸脱したり、乖離してしまったわけではない。言い換えれば、古事記を突き詰めていたらこうなってしまったわけで、読者の皆様には、ママテラスは変な世界に取り込まれてしまったなどと誤解されぬよう、一応、ここに説明申し上げる。

 

私が今度の「神勅シリーズ」で皆様に伝えたい究極のメッセージは「すべての元はひとつ」ということであり、それが日本の原点いや万国の原点である「和」に通ずるものであり、そこに皆さんと一緒に辿り着きたいし、そういう視点から具現化される今後の作品をどうか楽しみしていてほしい。