祝、選択肢が増えました 〜あきらめていた方たちへ、朗報です〜

 

新しい年が始まりました。

そして、新しい「まつり」の幕開けです。

 

「政治に無関心でも無関係ではいられない」

 

この言葉がどれだけ身にしみた、この2年だったでしょう。寒い冬に雪の中でじっと春を待つ草花のように、この新春、その小さな蕾(つぼみ)を地上に出そうとしている新しい政党があります。

 

【参政党(さんせいとう)】

 

この政党名を、耳にしたことがあるでしょうか。2020年4月に結党。ですが、昨年暮れ、2021年12月22日にYouTubeで公式記者会見をするまではほとんど表には出ていなかった政党です。

 

参政党のスローガンは「DIY(Do It Yourself)投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる」。

 

その名の通り、HPには『「仲間内の利益を優先する既存の政党政治では、私たちの祖先が守ってきたかけがえのない日本がダメになってしまう」という危機感を持った有志が集まり、ゼロからつくった政治団体』とあります。

 

記者会見では、党の政策の基盤である【新しい国づくり「10の柱」】のうちの、国税が最も費やされている「医療」、命に関わる安全な「食」や次世代の日本人を育てるための「教育」、尖閣等にも象徴される「国防」について触れられていました。

 

ボードメンバーであり、自身も今年の参院選に出馬すると決めた神谷宗幣さんはまだ40代前半(他にも現時点で4名が出馬表明しています)。学生時代に海外留学し、そこで日本人である自分が日本の政治や未来について外国人に尋ねられたときに、全く答えられなかった苦い経験が彼を覚醒させたと語っています。

 

私も同じような経験を持っていて、20代で初めて本格的に留学したカナダでは、クラスメートの中に韓国人が何人かいて、歴史的な見解を巡り、日本人と口論となる現場を目の当たりにしました。授業中に困って仲裁に入る英語講師の中には、たじろぎもせず、「日本人は日本のことを知らないから」と他のクラスメイトに説明していました。

 

ここまで言われても、ほとんどの日本人は黙りこくっています。

私も例外ではありませんでした。

 

他国に行けば、どこの国から来ていようとも、普通なら、自国についてどんなにたどたどしい英語でも一生懸命話す、それが世界の常識です。でも、日本人には一律にしてそれがない。

 

私が、何か(日本て)おかしいな〜と感じ始めたのは2回目のカナダ留学を終え、30歳目前で戻ったニュージーランドのバックパッカーズで、南米やヨーロッパからやってきて同じように長期滞在していた人たちと会話をして、そのように感じた時でした。

 

そして帰国し、上京して就職した先で、それが確信に変わるのです。

 

都内の外資系英語学校だったのですが、そこに通うすでに上級レベルの生徒さんたちの共通の悩みが「なぜ自分はそれなりに英語力があるはずなのに、もっといろんなことを流暢に話せないのか」というジレンマででした。

 

そこで、私は気づいたのです。日本人が英語を話すとき、会話をする相手はもちろん外国人。外国人が何を知りたいか、それは日本のことなのです。ですから、日本のことを学ばずに英語だけを学んでも会話の領域は広がらないのです。そもそも自分が知らないこと、そして普段考えもしない(=言語化しない)ようなことは、何語であっても話しようがないからです。

 

その後、オンライン大学で1年だけ講師をしましたが、私の授業はそこにスポットを当てたものでした。ライティングのコースでしたが、日本のことを英語で発信するという観点から教材を作成し授業を進めました。

 

香川に戻り、次世代の子供たちに残したいもの、自分が学んできた英語を活かして日本を発信できるもの、突然の大震災など様々なものが重なりあった結果、今から10年以上前に日英バイリンガルの絵本や雑貨を、それこそどこにもないので、自ら作成することにしたのです。

 

最初の作品が日本神話だった理由は、我が子にどこかの国の神話ではなく、日本の国の始まりから学ばせたいと思ったことと、GHQによる政策を知り、戦後取り去られたものを取り返さなければ、日本がなくなってしまうという危機感からでした。

 

戦前を全否定するのではなく、良いものはもう一度生活に取り入れて学びながら、同時に、世界に蔓延するブラックプロパガンダに対抗する発信力を日本人が身に付けなければいけないと思いました。

 

偶然なのですが、同じく参政党から出馬表明した科学者の武田邦彦先生は、紛れもなく私の「国防スイッチ」を入れたお方です。もう何年も前に某オンラインニュース番組で「お母さんは命懸けで子育てをするが、国がなくなったらおしまいです」とおっしゃいました。その瞬間、私の中にビビッと稲妻が走り(笑)、そこからずっと私の母親としての「国防スイッチ」はONになったままなのです。

 

そして、この私の今までの経験と思いがピッタリマッチする政党が、やっと、この令和に誕生したのです。

 

戦後、いいえ幕末より外国勢力により歪んだ土台の上に立つ祖国、日本は大きく転換しなければならない時に来ています。知りたくないことに顔を背け、お上の言うことを鵜呑みにし、誰かに大切な判断を丸投げして、それでもうまく回っていく世界、そういう時代はもう完全に終わりました。

 

これは悲観することではなく、この「大変革期」の只中に居て、それを目撃できるのは、実はとてもラッキーなことなのではないかと考えています。もしかしたら、私たちは皆、それを見届けるために、そういう星のもとに生まれた「運命の世代」なのかもしれません。

 

この「大変革期」に気づいていようがいまいが、好きであろうがなかろうが、天は平等にその時(チャンス)を私たちに与えるでしょう。それをどう受け取り、そこからどのように考え、行動するかはひとりひとりに委ねられています。